Masukレイは、週ごとにスケジュールを組んでいた。
月曜日は隼人。火曜日は蒼太。水曜日は理央。木曜日は奏多。金曜日は悠馬。週末は自分の時間と仕事の時間。
もちろん、完璧にこのスケジュール通りに行くわけではない。仕事の都合や急な用事で変更することもある。でも、基本的にこのリズムを保つことで、レイは五人全員と平等に時間を過ごすことができた。
月曜日の夜、隼人とレイは居酒屋にいた。
仕事帰りの隼人は、いつものようにスーツを着ていた。ネクタイを少し緩め、疲れた表情で生ビールを飲んでいる。
「今日もきつかったか?」
レイが尋ねる。
「まあね。でも、こうして君と会えると思うと、頑張れる」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
「レイ、君がいなかったら、俺はとっくに潰れてたと思う」
「そんなことないわ。あなたは強い人よ」
「強いんじゃない。ただ、やめられないだけだ」
隼人は、グラスを傾けた。
「最近、考えるんだ。このまま五十歳、六十歳になって、何が残るんだろうって」
「何か残したいの?」
「残したいというか......生きた証みたいなものが欲しいんだと思う」
「あなたが生きている、その事実が証よ」
「哲学的だな」
「哲学じゃなくて、真実よ」
隼人は、レイの手を握った。
「君と一緒にいると、そういう当たり前のことを思い出せる」
「当たり前のことが、一番大切なのかもしれないわね」
二人は、焼き鳥を食べながら、他愛もない話をした。
隼人の会社での愚痴、最近見た映画の話、週末の予定。
何でもない会話だけれど、それが二人にとっては大切な時間だった。
火曜日の午後、レイは美容室にいた。
蒼太が、レイの髪を丁寧に切っている。
「レイさん、最近髪の調子どうですか?」
「おかげさまで、すごくいい感じよ」
「良かった。このトリートメント、レイさんのために特別に配合したんです」
「ありがとう。いつも私のために」
蒼太の指が、レイの髪に触れる。その感触は、繊細で優しい。
「レイさんの髪、本当に綺麗です」
「蒼太が手入れしてくれるからよ」
「いや、元々が綺麗なんです」
鏡越しに、二人の目が合う。
「蒼太、最近どう? 仕事は?」
「忙しいですけど、楽しいです。いつか自分の店を持ちたいんです」
「素敵ね。絶対できるわ」
「レイさんがそう言ってくれると、本当にできる気がします」
カットが終わると、二人は近くのカフェに移動した。
蒼太は、レイに新しいヘアケア製品のカタログを見せた。
「これ、すごくいい製品なんです。レイさんに試してもらいたくて」
「ありがとう。でも、そんなに高いもの」
「いいんです。レイさんには、最高のものを使ってほしいから」
蒼太の真剣な表情に、レイは心が温かくなった。
「蒼太は、本当に優しいわね」
「レイさんのためなら、何でもしたいです」
水曜日の夕方、レイは理央と図書館にいた。
理央は、次の授業の資料を探していた。レイは、その手伝いをしながら、一緒に本を読んでいる。
「この本、面白いですよ」
理央が、一冊の教育学の本をレイに見せた。
「どんな内容?」
「子供たちが本当に必要としている教育とは何かという問いについてです」
「答えは見つかった?」
「まだです。でも、考え続けることが大切なんだと思います」
レイは、理央の横顔を見つめた。
彼は、いつも真面目に生徒たちのことを考えている。時に、そのことで自分を追い詰めてしまうほどに。
「理央、あなたは素晴らしい教師だと思うわ」
「そうでしょうか」
「そうよ。生徒たちのことを、こんなに真剣に考えている人は少ないわ」
「でも、時々わからなくなるんです。自分のやり方が正しいのかどうか」
「正しいかどうかなんて、誰にもわからないわ。でも、あなたは誠実に向き合っている。それだけで十分よ」
理央は、小さく微笑んだ。
「レイさんと話すと、いつも楽になります」
「それは嬉しいわ」
図書館を出た後、二人は公園を散歩した。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。
「レイさん、僕、本当はもっと自由に生きたいんです」
理央が、突然言った。
「でも、教師という立場がある。生徒たちの模範でなければならない。親たちの期待に応えなければならない」
「でも、あなた自身の人生は?」
「それが、わからないんです」
レイは、理央の手を取った。
「あなたの人生は、あなたのものよ。誰かの期待に応えるためのものじゃない」
「でも」
「でも、じゃない。あなたは、もっと自分に優しくていいの」
理央は、レイを抱きしめた。
「ありがとう、レイさん」
木曜日の夜、レイは奏多のスタジオにいた。
小さな防音室の中で、奏多が新しい曲を作っている。
キーボードの音が、空間を満たす。
「どう? この曲」
奏多が、レイに尋ねた。
「素晴らしいわ。この部分、特に好き」
「ありがとう。でも、まだ何かが足りない気がするんだ」
「何が?」
「わからない。でも、完璧じゃない」
奏多は、完璧主義者だった。自分の作品に対して、常に厳しい目を向けている。
「完璧である必要はないんじゃない?」
「でも、中途半端なものは出せない」
「中途半端じゃないわ。これは、あなたの魂が込められた音楽よ」
奏多は、キーボードの前で立ち止まった。
「レイ、俺、本当は怖いんだ」
「何が?」
「自分の音楽が、誰にも届かないんじゃないかって」
「届いてるわ。私に届いてる」
「レイだけじゃダメなんだ。もっとたくさんの人に」
「いつか、きっと届くわ。あなたの音楽は、人の心を動かす力がある」
奏多は、レイを見つめた。
「君がいなかったら、俺はとっくに音楽をやめてたかもしれない」
「やめなくて良かったわ」
「うん、良かった」
二人は、スタジオを出て、深夜のラーメン屋に入った。
奏多は、疲れた表情で麺をすすっている。
「最近、仕事が減ってきてるんだ」
「そうなの?」
「うん。AIが音楽を作る時代になって、俺みたいな人間はもう必要ないのかもしれない」
「そんなことないわ。AIには作れない、人間の音楽がある」
「そうだといいんだけど」
レイは、奏多の手を握った。
「大丈夫。あなたの音楽は、特別よ」
金曜日の午後、レイは悠馬と美術館にいた。
現代アートの展示を見ながら、二人は感想を話し合っている。
「この作品、すごいですね」
悠馬が、大きなキャンバスの前で立ち止まった。
「何がすごいの?」
「わからないけど、心に響く何かがある」
「それが芸術よ」
二人は、ゆっくりと展示を見て回った。
美術館を出た後、二人はカフェに入った。
「レイさん、最近、考えることがあるんです」
悠馬が、コーヒーをかき混ぜながら言った。
「何?」
「俺、親の期待に応えようとしてきたけど、それって本当に正しいのかなって」
「あなたはどう思う?」
「わからない。でも、このまま親の決めたレールの上を歩いていくのは、なんか違う気がする」
「じゃあ、どうしたいの?」
「自分で決めたいんです。自分の人生を」
レイは、微笑んだ。
「それは素晴らしいことよ」
「でも、怖いんです。親に反抗したら、どうなるか」
「どうなってもいいじゃない。あなたの人生なんだから」
「レイさんみたいに、強くなりたいです」
「私は強くないわ。ただ、自分に正直でいたいだけ」
悠馬は、レイの手を握った。
「レイさん、ありがとう。俺、少しずつだけど、変わっていける気がします」
「焦らなくていいのよ。少しずつでいい」
こうして、レイは五人それぞれと、深い時間を過ごしていた。
一人一人との時間は、決して同じではなかった。
隼人とは、疲れを癒す時間。蒼太とは、美しいものを共有する時間。理央とは、深く考える時間。奏多とは、創造を支える時間。悠馬とは、成長を見守る時間。
それぞれの時間が、レイにとっても、彼らにとっても、かけがえのないものだった。
しかし、レイは知らなかった。
運命の日が、すぐそこまで来ていることを。
レイと別れた日、蒼太は美容室の休憩室で一人、泣いていた。 声を殺して。誰にも聞かれないように。 二十五歳の男が、恋人と別れて泣いている。情けないと思った。でも、涙は止まらなかった。 レイとの思い出が、次々と蘇る。 初めて彼女の髪を切った日。繊細な髪質に感動したこと。シャンプーをしながら、彼女の優しい香りに包まれたこと。 閉店後、二人きりで話した夜。レイが、蒼太の夢を真剣に聞いてくれたこと。「あなたなら、絶対に素晴らしい美容師になれる」と言ってくれたこと。 初めてキスをした日。レイの唇は、柔らかくて温かかった。 全てが、走馬灯のように流れていく。 蒼太は、自分の決断を後悔していた。 いや、後悔というより、苦しかった。 レイを愛していた。それは、嘘じゃない。 でも、彼女を独占できないという事実が、蒼太の心を引き裂いた。 翌日から、蒼太は仕事に没頭した。 朝から晩まで、ひたすら髪を切った。カット、カラー、パーマ。技術を磨くことに集中した。 でも、仕事が終わると、空虚感が襲ってきた。 アパートに帰っても、誰もいない。 冷蔵庫を開けても、食欲がない。 ベッドに横になっても、眠れない。 レイのことを考えてしまう。 今頃、彼女は誰といるのだろう。 隼人か。悠馬か。 それとも、他の誰かか。 嫉妬が、蒼太の心を蝕んだ。 一週間が過ぎた。 美容室のオーナーが、蒼太に声をかけた。「蒼太、最近元気ないね」「そんなことないです」「嘘つくな。顔に出てるよ」 オーナーは、五十代の男性だった。この業界で三十年以上働いているベテランだ。「恋人と別れたんでしょう?」「......はい」「そうか。辛いよな」「大丈夫です」「大丈夫じゃないだろう。でも、仕事中は気を抜くなよ。お客さ
次の日、レイは誰からも連絡を受けなかった。 スマートフォンの画面には、何の通知もない。 いつもなら、朝から五人のメッセージが届く。「おはよう」「今日も頑張ろう」「君のことを思ってる」 でも、今日は何もない。 静寂が、重くのしかかる。 レイは、一人一人にメッセージを送った。 隼人へ。「昨日はごめんなさい。話したいことがある」 蒼太へ。「ごめんなさい。もう一度、ちゃんと話させて」 理央へ。「私の気持ち、伝えさせてください」 奏多へ。「逃げません。向き合いたい」 悠馬へ。「あなたと話したい」 でも、誰からも返信はなかった。 既読もつかない。 レイは、仕事に集中しようとしたが、手につかなかった。 ノートパソコンの画面を見つめても、何も頭に入ってこない。 午後になって、ようやく一つの返信が来た。 隼人からだった。**「今は、一人で考えたい。時間をくれ」** それだけだった。 レイは、返信しなかった。時間を与えることが、今できる唯一のことだと思った。 夕方、レイは千鶴のカフェに行った。「昨日は、ありがとう」「いいのよ。でも、大丈夫?」「大丈夫じゃないけど、どうしようもないわ」「レイちゃん、あなたは間違ってないわ」「本当に?」「本当よ。あなたは、自分に正直に生きてる。それは、素晴らしいことだわ」「でも、みんなを傷つけた」「それは、避けられなかったことよ。いつかは、こうなる運命だったんだわ」 千鶴は、コーヒーを淹れてくれた。 温かいコーヒーの香りが、少しだけレイの心を落ち着かせた。「千鶴さん、私、どうしたらいいかわからない」「あなたがすべきことは、待つことよ」「待つ?」「そう。彼らが、自分で答えを出すまで」「もし、答えが『別
八月十五日。レイの誕生日。 二十九歳になった。来年は三十歳だ。 レイは、特に誕生日を祝う習慣はなかった。一人でケーキを買って、静かに過ごす。それが、ここ数年の定番だった。 でも、今年は違った。 千鶴が、カフェでささやかな誕生日パーティーをしてくれることになったのだ。「レイちゃん、今年は私に祝わせてちょうだい」 千鶴が、優しく言った。「でも、迷惑じゃ」「迷惑なわけないでしょう。あなたは、私の大切なお客さんなんだから」 午後七時、カフェは貸し切りになった。 千鶴が用意してくれたのは、小さなケーキと花束。「千鶴さん、ありがとう」「いいのよ。さあ、ケーキを切りましょう」 その時、カフェのドアが開いた。「レイ!」 蒼太の声だった。 レイは驚いて振り返った。「蒼太? どうして?」「誕生日プレゼント、渡したくて」 蒼太は、小さな箱を差し出した。「開けてもいい?」「もちろん」 箱の中には、美しいヘアアクセサリーが入っていた。「わあ、綺麗」「レイさんに似合うと思って」 その時、また扉が開いた。「あれ、蒼太さん?」 理央の声だった。 レイは、さらに驚いた。「理央も?」「レイさんの誕生日、祝いたくて来ました」 理央も、花束を持っていた。「ありがとう」 レイが受け取ろうとした時、また扉が開いた。「レイ、誕生日おめでとう」 奏多だった。 そして、その後ろから隼人と悠馬も入ってきた。「え?」 レイは、言葉を失った。 五人が、同じ場所に集まっている。 これは、初めてのことだった。 カフェの中に、沈黙が流れた。 五人は、互いを見つめ合っている。 そして、気づいた。 自分たち以外にも、レイの「恋人」がいることに。「レイ、これは?」 隼人が、静かに尋ねた。 レイは、深呼吸をした。「みんな、座って。話すわ」 五人は、戸惑いながらも席についた。 千鶴は、察したように奥に引っ込んだ。 レイは、立ったまま、五人を見つめた。「みんな、ごめんなさい。驚かせて」「レイ、説明してくれ」 隼人が言った。「この人たちは?」「私の、大切な人たちよ」「大切な人?」「そう。あなたたちと同じように」 蒼太が、顔を上げた。「つまり、レイさんは、俺たち全員と?」「そうよ」 理央が、眼鏡を外した。「僕は、レ
レイは、週ごとにスケジュールを組んでいた。 月曜日は隼人。火曜日は蒼太。水曜日は理央。木曜日は奏多。金曜日は悠馬。週末は自分の時間と仕事の時間。 もちろん、完璧にこのスケジュール通りに行くわけではない。仕事の都合や急な用事で変更することもある。でも、基本的にこのリズムを保つことで、レイは五人全員と平等に時間を過ごすことができた。 月曜日の夜、隼人とレイは居酒屋にいた。 仕事帰りの隼人は、いつものようにスーツを着ていた。ネクタイを少し緩め、疲れた表情で生ビールを飲んでいる。「今日もきつかったか?」 レイが尋ねる。「まあね。でも、こうして君と会えると思うと、頑張れる」「そう言ってくれると嬉しいわ」「レイ、君がいなかったら、俺はとっくに潰れてたと思う」「そんなことないわ。あなたは強い人よ」「強いんじゃない。ただ、やめられないだけだ」 隼人は、グラスを傾けた。「最近、考えるんだ。このまま五十歳、六十歳になって、何が残るんだろうって」「何か残したいの?」「残したいというか......生きた証みたいなものが欲しいんだと思う」「あなたが生きている、その事実が証よ」「哲学的だな」「哲学じゃなくて、真実よ」 隼人は、レイの手を握った。「君と一緒にいると、そういう当たり前のことを思い出せる」「当たり前のことが、一番大切なのかもしれないわね」 二人は、焼き鳥を食べながら、他愛もない話をした。 隼人の会社での愚痴、最近見た映画の話、週末の予定。 何でもない会話だけれど、それが二人にとっては大切な時間だった。 火曜日の午後、レイは美容室にいた。 蒼太が、レイの髪を丁寧に切っている。「レイさん、最近髪の調子どうですか?」「おかげさまで、すごくいい感じよ」「良かった。このトリートメント、レイさんのために特別に配合したんです」「ありがとう。いつも私のために」 蒼太の指が、レイの髪に触れる。その感触は、繊細で優しい。「レイさんの髪、本当に綺麗です」「蒼太が手入れしてくれるからよ」「いや、元々が綺麗なんです」 鏡越しに、二人の目が合う。「蒼太、最近どう? 仕事は?」「忙しいですけど、楽しいです。いつか自分の店を持ちたいんです」「素敵ね。絶対できるわ」「レイさんがそう言ってくれると、本当にできる気がします」 カットが終わ
レイと五人の恋人たちが出会ったのは、それぞれ異なる場所で、異なる状況だった。 最初に出会ったのは、隼人だった。 一年前、レイがまだ前の会社でデザイナーとして働いていた頃のことだ。取引先の広告代理店から派遣されてきた営業マンが、隼人だった。 彼は背が高く、スーツを着こなしている典型的なビジネスマンだった。しかし、その目には、深い疲労が宿っていた。 プロジェクトの打ち合わせの後、レイは偶然、廊下で隼人を見かけた。彼は壁に寄りかかり、目を閉じて深呼吸をしていた。「大丈夫ですか?」 レイが声をかけると、隼人は驚いたように目を開けた。「あ、すみません。ちょっと疲れてて」「無理してませんか?」「無理、か。もう何が無理で、何が無理じゃないのかもわからなくなってきました」 その言葉に、レイは何かを感じた。 打ち合わせの後、二人はカフェで話し込んだ。 隼人は語った。毎日終電まで働き、週末も接待やゴルフで潰れる。恋人を作る時間もない。結婚なんて夢のまた夢。このまま歳を取って、何も残らずに死んでいくのではないかという恐怖。「でも、やめられないんです。この会社を辞めたら、自分には何も残らない気がして」「あなたは、会社じゃない。あなた自身よ」 レイの言葉に、隼人は目を見開いた。「そんなこと、誰にも言われたことがなかった」 それから、二人は頻繁に会うようになった。 隼人は、レイと一緒にいる時間が、唯一自分らしくいられる時間だと言った。 そして、ある日、告白された。「君のことが好きだ」 レイは、正直に答えた。「私も、あなたのことが好き。でも、知っておいてほしいことがある」 そして、レイは自分の生き方を説明した。一人の人だけを愛するという形は、自分には合わない。もし、それが受け入れられないなら、友達でいましょうと。 隼人は長い沈黙の後、言った。「それでもいい。君と一緒にいられるなら」 二人目は、蒼太だった。 レイが通っている美容室で、新人として入ってきたのが彼だった。二十五歳。美容師として独立することを夢見ている青年。 最初は、ただの美容師と客の関係だった。しかし、蒼太の繊細な指使いと、髪に対する情熱に、レイは惹かれていった。「レイさんの髪、本当に綺麗ですね」 シャンプーをしながら、蒼太が言った。「ありがとう」「でも、ちょっと傷ん
亜蘭レイが目を覚ましたのは、日曜日の朝十時だった。 東京の夏の陽射しが、薄いカーテン越しに部屋を満たしている。六畳一間のワンルームマンション。家賃は七万円。決して広くはないが、レイにとってこの空間は完璧だった。なぜなら、ここには誰も縛るものがないから。 寝起きのまま、レイはスマートフォンを手に取った。画面には五つの通知。「おはよう。今日は仕事だけど、君の顔を思い出すだけで頑張れる」 最初のメッセージは、隼人からだった。三十二歳の会社員。広告代理店で働く彼は、いつも朝早くから夜遅くまで仕事に追われている。「昨日のパスタ、本当に美味しかった。また作ってね」 二つ目は、蒼太から。二十五歳の美容師。繊細な指先で髪を整える彼は、レイの料理を誰よりも喜んでくれる。「レイさん、来週の勉強会の資料、見てもらえますか?」 三つ目は、理央。二十九歳の高校教師。生徒たちに慕われる真面目な彼は、レイに対してだけは少し甘えた声を出す。「新しい曲ができた。聴いてほしい」 四つ目は、奏多。二十六歳のフリーランスの音楽プロデューサー。いつも何かに追われているような焦燥感を抱えている彼は、レイの前でだけ穏やかな表情を見せる。「レイ、おはよ。今日も君は最高に美しいと思う」 五つ目は、悠馬から。二十二歳の大学生。レイより六歳も年下の彼は、無邪気な笑顔の裏に、家族からの期待という重荷を背負っている。 レイは一つ一つのメッセージに、丁寧に返信した。 彼女は嘘をつかない。五人全員に、同じように愛していると伝える。なぜなら、それが真実だから。 シャワーを浴びて、簡単に化粧を済ませる。鏡に映る自分の顔を見つめながら、レイは小さく微笑んだ。 二十八歳。世間から見れば、そろそろ結婚を考える年齢だ。実際、大学時代の友人たちは次々と結婚し、子供を産み、SNSには幸せそうな家族写真が並ぶ。 でも、レイにはそれが窮屈に見える。 いや、正確に言えば、かつてレイもそれを求めていた。二十四歳の時、当時付き合っていた恋人と婚約までした。結婚式場も予約し、ウェディングドレスも選んだ。 そして、すべてが崩れた。 婚約者は言った。「君はもっと普通になれないのか」と。 普通。 その言葉が、レイの中で何かを壊した。 それ以来、レイは「普通」を求めることをやめた。自分が愛したいように愛する。自分